染、色全公演を終えて

遅くなってしまいましたが、染、色全35公演、本当にお疲れさまでした!!!

無事に完走できて本当に良かった...チーム染、色の皆さま、本当にありがとうございました!!!

 

実は今回、ありがたいことに数公演観に行かせていただけて...先日の記事は初日を見た上での感想・解釈だったのですが、数公演見た上での感想もやはり残しておきたく、今回筆を取りました。(筆とかカッコよく言ったけど正しくはキーボード)

 

正直、この「染、色」という作品は、観るたびに表情が変わるし、脚本家やキャストさんのインタビューを読むと、どれも"正解"で、でもどれも"未完成"だと感じています。

観た人全ての人の解釈が正解。だけど、当たり前に、脚本家の中にも、演出家の中にも、キャストの中にもそれぞれの"正解"がある作品。

(これ、NEWS担はよく出会ってると思うけど(笑))

 

だからこそ、考察をするのは野暮なのかもしれない。観劇した上で受け取れたメッセージを大切にするべきなのかもしれない。

そう思ったけど、やっぱり私が感じたことを残しておきたいと思ってしまうのもオタクの性で。

なので、私が感じたこの感想・解釈が全ての正解だとは思わないし、それこそ加藤さんに一刀両断されるかもしれないけど、それでも、配信を観てまた解釈が変わる前に、少し私の言葉として残しておきたいと思い、今これを書いています。

 

真未という人格

前回書いた時は、深馬の中にある人格だと書きました。その感覚は変わってないです。

でもじゃあどこで真未が出てきたのか。

それはやっぱり最初のシーン。滝川の部屋で飲んでて、深馬と杏奈がキスするシーンで、風船が割れて、全員がビックリして、杏奈が深馬の絵を倒してしまうシーン。

そこで深馬が慌てて手を出して絵を拾うけど、手に絵具がついてしまって。

そこで、深馬が狂ったように笑って、プロジェクションマッピングで染みついていく映像が映る。ここで真未という人格が生まれたのかなって感じた。

 

じゃあ、真未という人格はなんなのか。やっぱりここは、深馬の中にあった「怒り」をメインにした感情なんだろうなと。

ロランスさんの企画展にオファーが来た時、深馬は滝川に相談する。

「怒りのような感情を発露に描いていたけど無くなってしまった。そしてそれをやばいと思えないことが一番やばいんじゃないかって」

この感情が真未なのかなって。真未が全部持って深馬から出てしまったから、だから深馬としては空っぽで。

 

ただの"二重人格"ではないと思うんだよね...二重人格だとしたら、本人は覚えてなくても、周りは違いに気づくはずだし...時系列が狂うことはないと思うんだよね...

 

恋愛小説(仮)要素?

前半、深馬がまだ真未と出会ってない頃。

真未が出てくるのは基本的に「深馬がお酒を飲んだ時」なんだよね。

最後、実は全てやっていたのは深馬だと分かるシーンでも出てくるんだけど、

例えば恐竜の絵。一本線を書いて、その後お酒を飲んで寝てしまって。その間に出てくる人格が絵を書き足す。そして、目が覚めた深馬が驚く。

「恋愛小説(仮)」は「染色」も収録されている「傘をもたない蟻たちは」に入ってる作品なんだけど、小説家のお話で、書いたことが夢の中で実現されるっていう話なんだよね。(ものすごく抜粋した説明なので、ぜひ1度読んでみてください。)

で、寝るために、恋愛小説(仮)の主人公は、お酒と睡眠薬を併用して、ボロボロになって、入院することにもなるんだけど。

これ、ドラマ版では自殺しそうになるの。夢と現実の境目が分からなくなって。

ドラマでは親友(加藤さんが演じてた)に止められて現実に戻ってこられるんだけど、実は染、色でも危ういなと思うシーンがあった。

 

真未が深馬の絵を壊したと分かるシーン。

そのことを知った深馬は真未を問い詰める。

「なんでこんなことするの!?」って。

真未の答えは「ちょっといたずらしたくなって」

 

真未が深馬にスプレーを隠された時と同じ会話。

ここについてもいろいろ書きたいことはあるけど、話それちゃうから一旦保留。

 

とにかくここで、真未は「ずっとこのままでいられたらいいね。私が深馬の願い全部叶えてあげる」って深馬に絡みつくの。

そこで深馬は意識を落としそうになる。真未に取り込まれそうになる。

 

最終的には自分を取り戻して真未から離れるんだけど、あのシーン

離れられなければ深馬は死んでいたのでは?

と思ったんだよね。

真未は、"ちゃんとした自由"を持ってるけど、だからこそ"死の象徴"なんじゃないかと感じた。

 

 

ちゃんとした

今回「ちゃんと」という言葉もよく出てきた。

"ちゃんとした自由"

"ちゃんとした不幸"

"ちゃんと死ぬ"

 

特に最後の"ちゃんと死ぬ"は強烈だと思う。

「作品を完成させる=死」という表現なんだけど、だからこそ"未完成"もキーになっている。

舞台「染、色」で作品を完成させられないのは深馬。完成させるのを怖がってる。それを完成させるために現れたのが真未。

だけど原作で作品を完成させられなかったのは美優。美優は描いてる途中で違うものが描きたくなるから完成させられない。そこに市村が描き足していくことで話が進んでいく。

 

だから、原作だけでは"未完成"から"死"のイメージには辿りつかないけど、舞台版は、「作品を完成させること=ちゃんと死ぬ」だから、完成させてしまったら、深馬は死んでしまうのかなって...だから、完成させる真未は"死の象徴"なのかなと思った。

 

ちなみに、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」と言われているらしく、わざと1本だけ柱を逆さまにしたり、姫路城では家紋の「アゲハ蝶」が「逆さアゲハ」になっているところがあるらしいです。

 

で、NEWSの新曲「BURN」では、セットにビニールシートを貼ることで未完成を表現していて、その話を聞いた加藤さんはめちゃめちゃ食いついてるんですよね(メイキング)

あと、加藤さんの最新ソロ曲「Narrative」では「未完成の声届けて ページを開いていく」という歌詞がある。

そして、その後、セットの中に落ちていくんだけど、その落ちた先がシゲアキソロ曲「あやめ」ではという説があって。

NEWSのライブ自体が4部構成で、その中での加藤さんのソロ曲が「あやめ」→「氷温」→「世界」→「Narrative」と繋がっていて、最後「Narrative」から「あやめ」に戻るというのは加藤さん本人が言っていて。

 

ということは、やはり"完成"させてはいけなかったんだろうなと。

もちろん舞台の「染、色」としてはこれで完成なんだろうけど、観た人によって解釈違うし、同じ人でも観るたびに感じることは違う。

Aぇのメンバーも「2回観たい」って言ってたもんね。(実際ほとんどが2回観てるし)

だからやはり「染、色」という作品は完成したけど未完成なんだと思う。

 

"答え"じゃないけど、感じることは観劇者に委ねられてると思う。

加藤さん自身、実際舞台を観て「思ってたのと違う」ところがあったらしいけど、それはそれで楽しかったって言ってるし、正門くんも「加藤くんなりの答えがあるだろうし、僕なりの答えもある」と言っていたので、そこは脚本家と主演でもすり合わせてはないのかな?と思うし、それでいいのかなとも思う。

 

加藤さんもよく、ソロ曲とか小説とかで「アレってこういう意味ですか?」ってファンに聞かれた時に「どうでしょうね?もちろん僕の中で思い描いてるものはあるけど、それは言わない。観た人、読んだ人が感じたことが正解」って言うし。

 

だから、下手に考察するのは野暮なのかなぁと思い始めた今日この頃です。

 

ただ、やっぱり不思議な点というか、気になる点、印象に残ったセリフもあるので、1つ記事を分けて書こうと思います。