染、色備忘録②(ネタバレ有)

初日(5/29)を観た上での私的解釈

加藤さんの作品は、答えを読者(観客)に委ねるところも醍醐味だと思っているので、それをいいことに超勝手に、私的な解釈をした上での感想を残します。

 

深馬と真未の衣装

ポスタービジュアルが公開された時、深馬と真未のパーカーが色違いなことで、私の中で2つの可能性が浮かんでて。

 

①HANDS(舞台ではPolydactyly)として2人で生きていくような設定

②深馬と真未は同一人物...というか表裏だったという設定

 

だったんだけど、結果、②が近くて。

この時点で「シゲシゲしい!」ってなるよね(笑)

 

加藤さんのソロ曲に「氷温」というのがあって。

この曲、曲だけ聞いたら普通?の失恋ソングなんだけど、ライブでの演出がまぁクセ強で。

初めて観た時は「.......は?」ってなったし、考察するのは無理だ!お手上げ!!ってなったんだけど、何回か見るうちに、世界が見えてきたような気がして。

この考察自体間違ってるかもしれないんだけど、そこは誤読の自由ということで。

私がその時に残してた考察がこれ↓

 

【これは男女の恋愛ではなく、自分ともう一人の自分のお話なのでは?ということです。
男性と、男性の中に眠る女性性の話では?と感じました。
最初その感じ方をした時は、「自分の中にある女性性との決別」を恋愛(失恋)ソングで表しているのかと思ったのですが、その後もう一度曲を聴きながらじっくり考えると、
「自分の中にある女性性への気づき」→「融合」→「男性でいたころの自分との決別(=失恋)」なのかな?とも感じ、実はまだ自分の中でも完全に掴み切れてはいませんが、どちらにしても「も多様性の要素が入っているのでは?というのを強く感じました】
 
読み返すと、「男性・女性」で分ける必要は無かったというか、差別的にも聞こえそうな表現になってるかな?って思ったんですが、そういう意味ではなくて...なんだろう....
加藤さん自身「ヒールが女性の象徴になってるのがなんかね」って、カカオ(ソロ曲)でヒール履いて踊った時に話してて。
そういう固定観念みたいなものをぐちゃぐちゃにしたい的なことも言ってたので、そういう意味での融合、固定観念に縛られてた自分との決別なのかなって....
(って、書いてて気づいた....染、色も男性(深馬)と女性(真未)なんだよね...
で、これもカカオの時に言ってたんだけど、「無邪気さと色っぽさ」とか「男性と女性」「大人と子ども」みたいな相反するもの、アンビバレントなものがいっしょくたになった世界観にしたかったって言ってて....え....染、色、カカオ的な要素もある....?正門くんにやってほしいシゲアキソロ、1位が「世界」で2位が「カカオ」なんですが←)
 
1人の中に2人の感情があるというか、表と裏があって、そこがごちゃ混ぜになって苦悩や葛藤を表したり、融合したり決別することによって成長するっていうのは加藤さんの作品でちょこちょこ感じることがあって。
 
染、色はその最たる物だったのかな...と。
だから原作の美優と舞台の真未は全く別のポジションで。
だから真未という名前で。そこにも意味があって。
「恋愛」の話というよりは、「学生や芸術家の葛藤」をメインにしたお話に変えたんだなって。
 
だから、本当に真未は異質だった。
出てきた瞬間から異物感があった。
原作の美優は"芸術家の女の子"というイメージだったけど、真未はこの世には存在していないような。
けど、スプレー缶隠されるシーンとかはそのまま残っていて。
だから途中まで掴みきれなくて、でも、観ていくうちに「やっぱりこれおかしいぞ」って気づく瞬間があって。
そしてラストにかけて一気に伏線が回収されていく。加藤さんの十八番とも言える手法なんだけど、それが小説でもソロ曲でもなく"舞台"という形で具現化されたことにめちゃくちゃ驚いた....
 

滝川先生の存在

最初キャストが発表された時「先生必要!?」って思ったんですよね。実は。

原作には出てこないから。(北見や原田もいないけど、同級生は出てくるので)

そしてこのも、登場した瞬間から違和感があった。

凄く素敵な先生なんだけど、なんとも言えない怖さがあって。

でも、この人を「怖い」と思う自分の感性が間違ってるんだろうなって思わせてくる演出で。

....してやられたと思った。

 

ここのラストの時系列が、1回見ただけじゃ掴みきれてないからうまく言えないんだけど、深馬から見たら、やっぱりどこかで怖さを感じていたのかなって。それが伝わってきてたのかなって。だから真未はずっと教授のこと疑ってたんだよねって。

 

この先生の存在が「芸術家の葛藤」を描く上でものすごくキーになってた。

原作では、やっぱり"美大生"に焦点が当たっていたけど、舞台は、先生がいることで、先生も葛藤していたことで、学生だけの話じゃなく、芸術家の話になっていた。

だから年齢関係なく、共感もしやすかったのかなと。

"何者でもない自分"に悩むのって、実は大人になってからの方がたくさんあると思うし、夢を"諦めた"のか"諦めたかった"のか"諦めざるを得なかった"のか。

私自身もエンタメで生きたかった人間だからグサグサと刺さった。

 

杏奈のポジション

杏奈がこんな切ないポジションになるとは思ってなかった...

原作では杏奈も結構軽いというか、世渡り上手な女子大生ってイメージだったけど、めちゃくちゃ苦労してて、めちゃくちゃいい子で、何回「深馬じゃなくて北見にしとけーーー!!!」って思ったか←

でも深馬がいいんだよね。深馬が好きなんだよね。。その不器用で健気な感じが、大学生の恋愛感を出してて凄くよかった...北見も切なかったしね....深馬くん罪すぎるだろ()

で、ラスト、原作にもあった、「今から会えないかな」って杏奈に電話するシーンがあるんだけど。

これ、救いでもあり残酷でもあるなって。

原作は美優は自分の道を進んで、市村はそこには行けなくて。

学生ではなくなる"寂しさ"と似た寂しさというか、美優と2人でいたあの日々への未練みたいな思いや、美優と一緒に行っていたら...というモヤモヤが、あのシーンに繋がっていて...そこで最終的に杏奈のところに行くのも残酷だとは思うんだけど、でも美優は美優の道を進んでくれてるから、市村も美優のことは忘れないけど、でも杏奈を選んだんだって思えた。

けどさ!舞台の真未は実在していないわけで。真未は深馬の中にあった人格なわけで。

それに気づいた深馬が、そこで最後杏奈に会いに行くのはちょっと残酷すぎやしないかと...

杏奈はずっと深馬のことが好きで、側にいたわけだから、救いではあるんだけど、この先この子達は幸せになれるのかな...って。

しかも原作と違って北見と原田はもう社会人になっていて。深馬は(わざと)留年してて。

まだまだ葛藤続くよなって...今このタイミングで真未の存在に気付いて...あれ、でもこれを書きながら、最後真未は白い衣装で出てきたよなって....で、あの画角で、桜も降ってたことは、しっかり決別(もしくは融合)できたってことなのかな?とも思いはじめた...

えーーーー。1回じゃ全然咀嚼できてなかったし、私のこのポンコツ記憶力なんなの。

 

あの桜のセリフ、加藤さんのソロ曲「星の王子さま」にも「秋に咲いた不時の桜は、次の春も咲けるだろうか」って出てくるんだよね....って思って、季節外れの桜について調べたら、

「何らかの理由で葉が機能しなくなり、十分な休眠ホルモンが花芽に届かない」

「一度涼しさがおとずれた後に春のような暖かい日が何日か続くこと」

この2つの条件下(ホルモンバランスの崩れ)で起こるらしい...そして、その木の桜も来春ちゃんと咲く....

 

 

 

 

 

 

 

戯曲本ください(n回目)

 

 

 

 

深馬が葛藤しているシーン

深馬が葛藤して、悩んでるシーンの演出で、円を描くようにグルグル歩き続ける(途中から走る)シーンがあるんだけど、あの演出、グリーンマイルでもあったよね...?

ポールが葛藤して、悩むところで、ただひたすらグルグル歩いてるシーン....

ポールはポールだったし、深馬も深馬だったんだけど、自然と重なってしまってビックリした...グリーンマイルでも特に印象的なシーンだったんだよね....

あれは意図的なんだろうか...瀬戸山さん演出の他の作品ももっとちゃんと観てみたいな...

 

他にもいろいろ考えたいところはあるけど、そこはもう少し時間を置いて、落ち着いて考えたいと思います。

勢いのまま考えても答え出ないわこれ......

 

それぞれのキャストさんの感想も改めて書きます。

本当はまとめて書きたかったけど、ここに入れちゃうとグチャグチャになっちゃう(笑)

でも本当に早く書かないと...1週間経って、衝撃は鮮明に覚えてるのに、細かいシーンは忘れちゃってるというか、考えすぎて、観たものと聞いたものと読んだものがごちゃごちゃになり始めてる....